(行ってないけど) WWDC 2014 は昔の WWDC みたいだったなあ

この業界の人間にとっては6月といえばWWDCの季節である。毎年GW明けた頃には各種ニュースサイトがくるったように予想記事書きはじめるし、会期中は実況されるし、終わったら終わったでラップアップが続き、blogだのなんだのの流量がものすごいことになる。

私は2001年にはじめて参加してその後2006年までWWDCに行ってた。毎年初夏のこのWWDCのSF旅行が一年でいちばんたのしみな時期だった。ところがである。いろいろな巡り合わせから参加者が急増する時期と前後して行かなくなってしまった。参加しなくなって久しいが、現在はチケットを買うのも一苦労であるのはご存知の通り。2001年の参加者はたしか2000人くらいだったんじゃないかな。今年は何人だったんだろう。

まだ参加できていた頃のWWDCはそれはもう楽しいもので、いろんな発表を本当にわくわくしながら聴いていた。当時はまだ基調講演を世界一キーノートスピーチがうまい人がずっとオンステージでやっていて、外野からはそれを目当てに行ってるんだろうなどと言われたものである。しかしそれはあまり当を得ていない見方であった。

WWDCは参加者には事前にスケジュールが配布されているのだが、かなりの部分がTBA(To Be Announced)となっていた。特に月曜(初日)の午後のいちばん最初のところなどが不自然に未定になっているのだ。これが何を意味するかと言うと、月曜午前中の基調講演ではじめて発表された新技術のセッションがそこに入るということなのである。参加者はみな、このTBAと書かれた時間スロットこそが今後数年間の自分たちの生き方を決めるものなのだと心得ており、基調講演直後に書き込まれたセッション名を見て争って席を撮るのである。

つまりあのキーノートは単に生ける伝説のCEOを生で見たいがためではない。自分たちの未来を決める時間であり、それを生で体験しに行くのである。本当に期待に胸をふくらませるという意外に言いようがない時間をそこで何度も過ごした。はずだった。

WWDCに参加しなくなっていちばん淋しいのはあのわくわく感溢れる時間を体験できないことだ。そして特にここ何年かは、そこで扱われるアプリ開発の商業性などのメッセージが強すぎるように感じられ、かつてのあの感じからなんとなく遠くなったなあなどとぼんやり外野から考えていて、2013年までそれが変わらなかった。もうキーノートの中継も見なくなっていた。
そこで今年のあの内容である。眠れずに起きたまま、なんの気なしに中継URLをクリックしたらついに最後まで基調講演を見切ってしまった。去年までとは確実にちがう、あのたのしかったWWDCが帰ってきた気がして興奮でその後も眠れなかった。なによりうれしいのはiOSだけでなくMac OSにもエキサイティングな発表がたくさんあったことである。みんなが注目するあの新言語然り。これだよ、これ。あのたのしかったWWDCが帰ってきてるよ!

いやほんと、ここに来てこういう展開になるとは思わなかった。出張組がぼちぼち帰ってきて、いろいろな情報が徐々に精細になってゆくと思うが、また目が離せなくなったと思う。